チョコタフと異世界への冒険

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演劇「ハイキュー!!」“勝者と敗者”千秋楽までの感想~演出編~

ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」“勝者と敗者”が千秋楽を迎えましたね。おめでとうございます!

前回の“烏野復活”で初めて、ハイステを生で観劇し、こんな演出があったなんて!と興奮。1回の観劇予定を2回に増やし、更に大楽はライブビューイングを見に行くまでとなりました。

そんな前回もふまえ、今回は多めに観劇予定を作っていたものの、実際に生で見てみると、予想をはるかに超えたパワーアップぶりで、これは生で見なければもったいないと思い、実に7回も観に行ってしまいました。大楽はもちろん会場へ。

今回のエピソードは原作の中でも特に印象に残っており、作中のいろんな台詞をよく覚えてたので、余計に感動も極まれり。

今まで演劇ハイキューがやってきたことの集大成がここにあるのでは、と感じるほどに、2.5次元という括りに捕らわれず、舞台として最高のクオリティだったと思います。

今回はその舞台の感想を、主に内容や演出面から書いていきます。

 

セッターはオーケストラの“指揮者”

今回まず度肝を抜かれたのは、セッターをそのまま“指揮者”として表現していた部分でした。

原作には烏養監督のこんな台詞があります。

セッターってよ

オーケストラの“指揮者”みてえだと思うんだよ

同じ曲 同じ楽団でも 

“指揮者”が変われば “音”が変わる 

幕があけて冒頭、そう話す烏養監督の後ろでは、二人の指揮者がチームを動かしています。

一人は王様の冠とマントを身にまとった影山、もう一人はタキシード姿の及川さん。

烏養監督の言葉をそのまま体現するかの如く、二人の指揮のスタイルは異なります。影山が激しく細かく指示するのに比べ、及川さんは、ゆったりと全体を導くような大らかな指揮。

 

こういう事か、と。

今まで烏養監督の言葉を通してイメージでしかなかったものが、圧倒的な説得力をもって画として目の前に差し出され、ただ納得することしかできませんでした。 

セッターを指揮者とすることで、チーム全体を音楽集団とみなし、そこに所属する選手は一人一人異なる楽器の奏者として扱う。その見立てが、とても綺麗にハマっていました。

 

これが青城の音楽だ

指揮者のスタイルも違えば、学校同士で奏でる音楽も違う。

青葉城西は、綺麗で整ったまとまりのある安定したクラシック。一方烏野は、楽器同士の主張が激しく、ちょっとでもずれたら破綻してしまうようなポップテイスト。ブラスバンドの力強さが近いかな?

2つの異なるテイストの音楽を使い分けながら、試合中の優勢、劣勢、リズムの転換、噛み合わない不協和音、などを表現していました。

 

試合を通して、両校にはいろんな場面が訪れます。

例えば、影山が及川さんとの力量の差に追い詰められ、かつての“孤独な王様”に戻りかけている場面では、それまで奏でていた音楽は不協和音へと変わり、耳をつんざくような音になります。影山の指揮も、チームの動きも乱れ、コンビミスとなって追い詰められます。

この場面での影山達成の悲痛な叫びは、何度聞いても胸をしめつけられました。心の底から悔しい思いで溢れていて、焦りが伝わるからこそ、苦しい。

 

青城サイドでは、烏野の奇襲に崩れそうになるたびに、バイオリンの音色が入り込み、及川さんがリズムを立て直す。

及川さんがチームの要であることは間違いなく、しかし、それだけではなく、その及川さんを信頼し、スッと冷静さを取り戻す青城も、チームとして強いと感じさせます。

バレエのような華麗な舞いでありながら、騎士のような統率された動き。そのしなやかさが、青城であり、及川さんが奏でる旋律なのでしょう。

影山が、烏野が崩れ、青城が蹂躙していくような演出があったのですが、そこに青城の強さが表れていて、とても好きなシーンでした。

 

音楽はもともとその“場”の雰囲気を表現する力を持っているけれど、今回はチーム全体を楽団に見立てているからこその、”ハマっている”感じがあり、このドンピシャ感は観てもらわないと感じられないかもしれません。

 

“俺の仲間”は ちゃんと強いよ

今回の試合では、追い詰められた影山に代わり、3年生の菅原が投入されます。物語のキーパーソンといっても過言ではないでしょう。

もう一人の烏野のセッターとして、文字通りチームのリズムを変える様を観られるのがまた面白いのです。

バラバラになりかけたチームを一つに束ね、影山とは異なるスタイルの指揮でチームを導きます。

影山の時は明るくも激しい曲調だったのが、アップテンポでありつつ、楽しげなポップさが強調され、みんなの呼吸が一つになっているかのようなイメージが伝わってくるんです。チーム全体が楽しげに、安心するかのように体を動かしているのもいい。

一幕の終わり、青城に1セットを取られるも、圧されていた烏野が牙を見せ始めた時、スガさんは片手を腰にあて、もう片方の手でチームを指揮し、及川さんに怯むことなく、堂々とチームを率いている。率いているというよりは、仲間を信頼して、一緒に戦っている、という方が適切かも。

普段はにこやかな人なのに、その指揮する凛々しい姿はとてもカッコよく、痺れました。

 

自分も戦えるって 証明しろ

控えから出場したのは、スガさんだけでなく、山口もですね。

第3セット、均衡が崩れ、青城に押されそうな場面でのピンチサーバー

漫画で読んだ時も、このプレッシャーしかない場面で初めてのサーブかと震えたものですが、舞台で見ると、その空間の中に巻き込まれたようで、より恐かったです。

一人で舞台に立つのは山口なのに、私ですら、緊張とプレッシャーに押しつぶされそうになるほどでした。

恐いという感情が嫌というほど流れ込んできて、「ああ、山口はこんな緊張の中に立っているんだ」と思ったら、舞台を見ている観客ではなく、烏野を応援する一員として、試合に巻き込まれたように感じました。

コートの中を渦巻く感情が、劇場を、客席を支配するんです。そこにある感情に捕らわれるので、3回目の観劇までは非常にエネルギーを消耗していました。

山口のサーブの失敗を受けての嶋田マートさんの台詞がまた泣けます。

ー"次”を

次も戦うチャンスを掴め!!

失敗は強くなるためのステップ。山口を象徴するシーンであり、とても勇気づけられるシーンです。

 

“勝者と敗者”

舞台の上では隅から隅まで色んなことが起きていて、物語の主軸はあるのに、それ以外の物語にも目を向けたくなるほど、中身の濃いものでした。

ハイキュー!!』という漫画においては、確かに烏野がメイン校だけれども、烏野に相対する学校すべて、それぞれにとっては主役の物語を生きているんだということを思い起こさせてくれました。

常波中の池尻くんの台詞を思い出しますね。

これが物語だとしたら

全国へ行く奴らが主役で俺達は脇役みたいな感じだろうか

それでも俺達はやったよ、バレーボール やってたよ

舞台を見ていて、烏野にも青城にも勝ってほしいと思ってしまう程に、彼らは必死のボールを追いかける。

しかし、現実はそうもいかない。勝負事には、必ず「勝者」と「敗者」がいる。必ず決着はつき、彼らは「勝者」か「敗者」になりえる。

今回のサブタイにはそんな意味合いも込められているんじゃないでしょうか。

山口のシーンを含めて、青城戦はとてもドラマチック。青城戦のラストを描く8巻については、以前感想を書いていました。

関連記事:『ハイキュー!!』8巻を読んで思うこと - チョコタフと異世界への冒険

 

青城戦を描いた6~8巻を改めて読み返しましたが、舞台では舞台でしか描かれないことが、漫画では漫画でしか描かれないことがあって楽しいです。

 

表現であり、体現

"勝者と敗者”で描かれた烏野VS青城戦は、各キャラクターにとって欠かせないエピソードばかりです。

台詞ひとつひとつが印象的で、舞台では、そんな言葉ひとつひとつに色をつけて、世界をつくりあげている。

言葉と体と音が形作る世界は、あんなにも力強いのかと。

演劇の方程式がいかんなく発揮されていて、演劇って面白い!と改めて思いました。

 

ゲームは総合芸術(総合エンターテインメント)だといいますが、舞台もそうだと思うのです。だからこそ、私にとってこの2つが特別なのかも。

操作はできないけれど、あの空間は紛れもなくお客さんがいるから成り立つ空間で、インタラクティブなものです。

私は、全てが終わって、最後にキャストやスタッフさんに拍手を、ありがとうを贈れる、舞台、演劇の空間が大好きです。

新しい世界を見せてくれた演劇「ハイキュー!!」に改めて感謝!

 

そして、役者さんへの愛を書ききれなかったので明日に続きます。

(5/10追記:キャスト中心で語ってます↓)

kumadasummer.hatenablog.jp